半分になっちゃった思考実験 - 意識の複製はできるのか、主観とは何か
半分になっちゃった思考実験
はじめに、次の思考実験を考えます。
あなたは、今日も一日なにごともなく、過ごしていました。
しかし、不幸なアクシデントにより、体がきれいに真っ二つになってしまいました。
通常であれば、すぐに死んでしまいますが、進歩した医療技術により、両方の体を生存させることができました。
さて、このとき、あなたの主観(自意識)はどちらの体にあるでしょうか?
- 左、または、右の体のどちらか
- 両方
- どちらにもない
「左、または、右」の立場をとった場合
一般的な常識として意識は脳にあるものと考えられています。
アクシデントにより、脳もきれいに真っ二つに割れてしまいましたが、自意識は脳のどこかの部分にあり、その部分がある側に意識があるという立場です。
分割されてしまった脳の左側に自意識となる部分があれば、左側の体に意識があるということになります。
なんとなく、良さそうな気もしますが、この場合、脳の自意識となる部分が半分になってしまったらどうなるのでしょうか?
結局、脳のある部分が意識となる部分であるとすると、原子レベルで分割できないほど極小な部分でなければ、分割できてしまうことになり、
分割された場合にどうなるのか?という最初の状態に戻ってしまいます。
意識をつかさどる部分が極小な領域であるという調査や実験結果は出ておらず、また、近年の調査や実験では脳全体として機能していることがわかっていることからも、
脳の極小部位が意識であるという可能性は低そうだと考えられます。
脳量子論の立場に立つと、意識は極小の量子領域であるという考えがあるため、分割できないことになり、脳が複数個に分割されたとしても、どこか一つの脳に自意識があることになります。
「両方」の立場をとった場合
右の体と左の体にはつながる部分がないため、右の体の感覚と、左の体の感覚は違うものであり、
その状態で両方に自意識があるというのは、全く想像のできない世界です。
2つの分かれたものに対して、両方の意識がある。しかし2つは独立していてそれぞれの状態はわからない。そんな状態に至れるのでしょうか?
ちなみに、両方の体の意識を同時にもてないことは「意識の境界問題」と言われています。(他人の意識を自身が感じられないこと)
「どちらにもない」の立場をとった場合
脳が半分になってしまったことで、半分になる前と別物になってしまたことで、記憶や経験などの情報も半分に分かれ、自意識はどちらにもなくなるという考えです。
この考えを採用した場合で次の問題を考えてみます。
記憶と経験の蓄積が自意識であるのか?
一つは記憶と経験の蓄積が自意識であるのか?という点です。
記憶と経験の蓄積が自意識である場合、過去の経験がない自意識と、経験がある現在の自意識は別物であるということになります。
昨日の自意識と今日の自意識は別物である。経験が蓄積されるたびに自意識が更新され、常に自意識は新しい別のものに置き換えられている。といえるでしょうか?
直感的には、自意識は連続性があるように感じられ、昨日の自意識と今日の自意識が別物のようには感じられず、ずっと昔から自意識は連続しているように感じられるのではないでしょうか。
一方で、自意識は継続しておらず、一瞬で消滅し、消滅によりあたらな自意識が生まれる。世界も一瞬ごとに消滅生成を繰り返す。という考えもあります。
また、「記憶と経験の蓄積が自意識である」ということになると、
後述する「スワンプマン」にも自意識がなければならないが、そのようなことは直感的には起きないという矛盾も起きそうです。
復元すれば意識は復元できるのか?
もう一つは、別物になった状態が元に戻ると自意識が復元されるのか?という点です。
半分になってしまった際に、別れてしまった右の脳と左の脳をつないでいた神経をケーブルで接続したとします。
それまでと同じ脳のネットワークが維持されているため、自意識はそれまでと同じようにあります。
この状態から、ケーブルを一つずつ切断していきます。
1本切断するごとに、「どちらにもない」の立場を採用した場合、徐々に脳は2つの別物に近づいていくため、だんだんと自意識がなくなっていき、最後の1本を切断すると、意識がなくなります。
この状態から、逆に1本ずつ接続していったときに、眠りから覚めるように徐々に自意識が復元されるのでしょうか?
ケーブルを切断された後、2つの体に分かれた状態で経験をする。例えば、片方はアメリカ旅行に行き、もう片方はイタリアに旅行したとします。
旅行後にケーブルを接続して、自意識が復元された場合、2つの体に分割した際のそれぞれの体が得た、記憶や経験はどのように感じられるのでしょうか。
自意識では、アメリカとイタリア両方に旅行したことが感じられるのでしょうか。
それとも、自意識がなかった状態での経験は記憶としても経験としても感じられないのでしょうか?
脳に記憶が蓄積されるのであれば、復元後には両方に旅行した記憶が感じられるのが自然ですが、
自意識がない状態で経験したことは夢のような扱いになり、記憶としても思い出せないという状態になる可能性もありそうです。
スワンプマンを考える
「記憶と経験の蓄積が自意識であるのか?」で記憶と経験の蓄積が自意識であるかもしれない。という考えがありました、ここでスワンプマンを考えてみます。
スワンプマンとは、ある日、雷が沼に落ちると奇跡が起き、自分と全く同じ物質構造を持つ物体が複製される。という話です。
全く同じ物質構造を持つため、見た目も同じですし、脳内の構造も全く同じため、記憶も同じ状態です。
元のスワンプマンの話では、沼から生まれていない、元のほうは雷に打たれて死んでしまうわけですが、今回は元のほうも死ななかったとします。
さらに、元のオリジナルのほうは「あなた」だとします。
沼に雷が落ちてスワンプマンが生まれた際に、「あなた」は沼から生まれたスワンプマンを見ることになり、
直感的に考えれば、スワンプマンに自分の意識はないのが自然です。
しかし、スワンプマンが生まれた瞬間、スワンプマンは「あなた」と全く同じ構造を持ち、全く同じ記憶を持っているとしたら、
沼から生まれたスワンプマンにも、「あなた」の自意識があってよいはずではないか?という考えもあります。
もし、スワンプマンにあなたの自意識がないとすると、自意識は物質的な構造とは違う要素があることになるのではないでしょうか?
スワンプマンに自意識がない理由として、次のような考えがあります。
完全な複製は「宇宙の原理」として作れない
脳内には量子力学的な何かがあり、完全に同一の複製を作ることは原理的にできない。という考えです。
スワンプマンが沼から生まれたとしても、脳内の量子状態が違う状態になり、スワンプマン側に「あなた」の自意識は無い説明になります。
自意識は(現在わかっている範囲の)物質的な要素とは違う要素である
全く同じ物質構造を持つスワンプマンは生成できるが、意識は物質構造とは違う要素である。という立場の考えです。
スピリチュアルな考えでは、物質としては測れない、霊的なものが肉体に宿り自意識になる。という説明がよく言われます。
SF的な考えでは、「水槽の脳」で言われているように、意識は世界の外部にあり、体はアバターとして動いているだけ、という説明になります。
あるいは、現在認識できない、3次元以上の高次元の構造があり、その構造まで複製すればスワンプマンに自意識を接続することができるのかもしれない?
などといった説明もあるかと考えられます。
実は自意識があるのは、宇宙で「あなた」だけである
この立場をとると。「あなた」以外のあらゆる生物には自意識がなく、同じ構造をもつスワンプマンが生まれたとしてもそのスワンプマンに意識はないのは当然となります。
「あなた」が寝ている間、または死ぬとこの世界、あるいは宇宙はなくなります。この考え方は「独我論」と言われます。
この場合、「あなた」だけのための宇宙としてはずいぶん複雑な構造であり、どうしてこのような構造が「あなた」だけのために用意されているのか?という問題があります。
梵我一如 (ブラフマンとアートマンが同一である)の立場をとる
自意識(アートマン)は宇宙の根源(ブラフマン)(の一部)であり、スワンプマンは「あなた」のアートマンとは別のアートマンが宿るという考え。
ただし、全く同じ物質構造を持つスワンプマンにどのように「あなた」のアートマンとは異なる、ブラフマンであるアートマンが宿るのか?という問題は残されたままになります。
また、なぜブラフマンという完全な存在から、制限されたアートマンが生物に宿るのか。人間でないもの(細菌や動物)にアートマンが宿るのか?
生物でないもの(岩や水)に「アートマン」が宿るのか?宿らないとすると違いは何であるのかという問題が出てきます。
スワンプマンは未来、または、過去に自意識を持つ
生まれたスワンプマンには自意識は無いが、そのスワンプマンの自意識は過去、または、未来に自身が体験するであろうという考えです。
スワンプマンが生まれても自分の意識はオリジナルの「あなた」のほうにありますが、やがて、オリジナルの「あなた」が死ぬと、
別の生物(の生まれた時点)に主観が宿り、何度も死を繰り返すうちに、やがて、沼から生まれたスワンプマンに「あなた」の主観が宿る。という考えです。
この考えには、いくつかバリエーションがあり、すべての生物、すべての人間の主観は「あなた」がすでに経験した。これから経験するであろうという立場と、
すべての生物の主観を「あなた」が経験するわけではなく、いくつかの生物に限って主観を経験した。するであろうという立場があります。
「あなた」以外の意識、主観も存在し、別の人間や生物を経験している。ということになります。
いわゆる「輪廻転生」に近い考えで科学的な根拠は全くない、スピリチュアルな話題になってしまいますが、「単一電子宇宙仮説」といわれる、
宇宙に存在するすべての電子、陽電子は1つの粒子で、時間を前後して移動することにより、あらゆる電子は1つの電子が一筆書き状態で存在している。
という考えです。仮説のため根拠はありませんが、このような仮説が証明されれば、自意識も時間を前後して別の人間や生物の主観を経験しているという考えに、
つながるかもしれません。
また、この考えに基づくと、自意識は(今現在は何も覚えていなくても)かつて、未来の時間を経験したことになり、すでに未来は確定している。ということになります。
このため、(宇宙や世界が1つであれば)自由意志はないという結論にもなります。(
参照)
また、そうでない立場をとる場合。つまり未来は決まっていないとすると、未来の人間や生物の経験をしたのであれば、その未来とは異なる未来が選択できるということになり、
複数の世界/宇宙が存在しているのではないか。ということになります。
考えるだけ無駄説
釈迦はこれらの問いには答えなかったそうです。考えても意味がない、結論は決して出ないということを悟ったのかもしれません。
- 世界は無限か有限か
- 生命と身体は同一か別個か
- 修行完成者は死後も存続するか存続しないか
転送SF技術を考える
ここまで踏まえた内容で、次のSFテクノロジーを考えます。
- 転送したい人間の構造をスキャンし、データ化し超高速通信で送信する。元の人間は焼却、または溶かす。
- データを受信した側で、構造を再現して、送信側でスキャンした人間の構造と全く同じものを生成。
- 光の速さでワープできますよ。
ワープ後に自意識はあるのだろうか?
とりあえずまとめ
(いつものどおりのぐだぐだです。)